復興格差

「自分が事業を成功させることで移住人口を増やし、"被災地間の復興格差を是正したい"

 今年の夏休みにインターンで山元町に滞在していた際に出会った、Iターン移住者の農家の方の話が衝撃的だった。

 僕は昨年の夏休み、石巻気仙沼、南三陸、大船渡などに足を運び、被災地全域を訪問したつもりでいて、尚且つ周りの友人にもそう話すことで被災地の全てを知った顔をしていた。しかし、この話を聞いて改めて自分の言動と無知さに恥じた。

 

 

 復興格差とは被災地間での支援格差を指し、外から積極的に支援が行き届いている地域と、支援の恩恵をあまり受けていない地域との格差のことを言う。例として、同じ県内で僕が昨夏に訪問した石巻市気仙沼市、今夏に訪問した山元町で被害の大きさをまずは比較してみることに。

 左が死者数と行方不明者数の合計を表した数字であり、右が人口対比での東日本震災による死亡者数の割合である(2016年3月11日)。住民を失った割合は山元町の方が多く、つまり被害の程度も山元町の方が町としては大きい。しかし、被災地と言って大半の人が思い浮かべるのは石巻気仙沼であり、実際に支援やボランティアの数も圧倒的に多かった。一方で、山元町はそもそもほとんどの人が名前すらも知らないであろう。では、どうして地域間でこんな格差が生じてしまっているのか、農家の方の話を基に2つの原因をまとめてみた。

 まず一つ目。これが主原因と言っても過言でないが、影響力という点だ。石巻気仙沼は元々人口が多く経済的に栄えていた街である。そのため、死亡者数だけ見ると山元町と桁が違いそれだけインパクトが強く残る。また両市とも漁業で全国的に有名であり、僕でさえも震災前の中学生の頃から知っていた街だった。
 そのため、新聞やテレビなどが被災地を話題とすれば、同じ被災地でもこうした経済力と知名度の高い街に偏向して報道するようになる。また、マスコミとしては便宜上同じ街に絞った方が復興の経過を伝えやすいため、その街にフォーカスした特集が組まれるようになる。ニュースを観た人たちがボランティアに行って、ボランティアの取り組みがまた報道されて、また今度は別の人が同じ街にボランティアに行くようになって…。人気俳優やアイドルがその地に行くとなれば、なおさらだ。
 こうして大きな街ばかりに情報と支援が集中して、一向に山元町のような小さな街には支援が行き届かないのだ。僕も震災時以降も新聞やテレビを注視していた方だが、今夏のインターンに参加するまで実は山元町の存在さえ知らなかった。こうして偉そうなことを述べているくせに、恥ずかしながら当の自分もこのスパイラルに呑まれて、自分が行った気仙沼石巻、南三陸だけを被災地全域と表現した愚か者であった。

  もう一つの理由としては、他所から人を受け入れる文化だ。石巻気仙沼は、元々観光地として市外から人が来る地域であった。そのため、ボランティアが来ても暖かく受け入れていたようだ。僕が石巻に行った時も、街の人が車で案内してくれることがあったくらいだ。次第にボランティアから派生して、外からたくさん人が滞在して様々な取り組みが行われるようになった。例えば、石巻に関しては昨夏に国内外から著名なアーティストが集った大規模なアートフェス"REBORN ART FES"が開催され、国内外から26万人も動員した。気仙沼も関西の大学生が気仙沼でロックフェスを開催したり、元々はボランティアで来ていた若者ががゲストハウスやシェアハウスを作ったり…最近では移住定住支援センターができたほどだ。
 これに対して、山元町はどうだろうか…。元々とりわけ有名な観光地があるわけでもなく、ビジネスホテルや旅館、簡易宿泊所すらもない街であった。観光客数も石巻の約50分の1である。外から人が来るといえば、この時期にいちご狩りで市外県内の家族連れが来るくらいだ。こうして、そもそも山元町には他所から人が来るということ自体なかったため、他所からボランティアで人が来るということに対して少なからず抵抗があったという。内藤さんは2011年4月からボランティアで山元町に来ていたが、最初の頃は町民からの反応も冷ややかだったと言っていた。

 

  

 支援やボランティアが圧倒的に足りていなかった山元町はいかにして復興していったか、さらに話を伺ったところ、町民の弛まない努力が垣間見れた。例えば、町の重鎮的なお寺の住職や気概のある町議員が、このままではまずいということで他所から来た修学旅行生などを泊める試みを当時自主的にやっていたそうだ。また、 2015年から年に一回行われる"山元はじまるしぇ"というお祭りは、震災を機に町役場の方や地域の事業者(内藤さんもその一人)が有志で立ち上げて、今となっては5000人の来場者が訪問する大イベントとなった。僕がインターン期間中に滞在していたログハウスも、街にもっと人を呼びたいという山元町民の有志によって作り上げられたものだ。そんな経緯があって、学生ボランティア団体が参画したり、ゲストハウスができたり、僕みたいに大学生のインターンが入ってきたり…と外からの人の流れが徐々にできるようになった。

 

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今年は12月9日に開催される。

 

 内藤さんは、震災直後にボランティアとして入り首都圏から通いながらも2年半近く山元町に滞在し、その後半年間の農業研修を受けて2014年に移住した。元々農業に関心はあったと言うが、ボランティアとして町に入っていた2年半の月日で他のボランティアが波のように引いていく姿を見て、自分が何とかしなきゃという思うようになり、そのまま移住して農業を始めた。自分が起業し成功することで、農業に興味ある、被災地で何かしたいという若い人たちが山元町に来て移住・定住する流れを作っていきたいと言っていた。事業と並行して、はじまるしぇの運営をはじめ地域おこし関連のイベントにも顔を出すことが多い。内藤さんは山元町のボランティアの草分け的存在であり、彼の努力が町民から認められて、町民自身も外から人を受け入れるようになり、僕はその恩恵を授かった一人なのかもしれない。だからこそ、内藤さんの思いに触れてグッと来るものがあった。

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内藤さんはラジオやテレビにも結構出ている。

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内藤さんの作る”マコモダケ”という野菜の入ったパスタ。街のレストランにて。

 復興格差は深刻な問題だが、それでも内藤さんをはじめ事業者との出会いやはじまるしぇの企画会議にも参加したりして、人の流れを作りたいという町民の思いを直に感じられた。もし、まだ被災地に行っていない、時間があったら行ってみたいという人がいたら、石巻気仙沼、南三陸もいいけど是非とも山元町に足を運んでほしい。大きな街と違ってまだ他所からたくさん人が入ってきていないからこそ、熱意や高い志を持った事業者、町民が親身になって歓迎してくれる。
 また余談だが、僕は今夏に山元町でインターンをつくるインターンをやっていた。実際に、山元町で来春行われる1か月のインターンを二つ作成したので、もしご興味があれば連絡していただきたい。そんな熱い経営者のもとで働く機会なんてめったにないと思うので、時間があれば是非とも参加してみてはどうでしょうか!(絶賛募集中)。

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先日、オレンジレンジのメンバーが山元町に来たらしい。内藤さんは実際に会ってメンバーと会話したとか。