カタストロフと美術のちから


【カタストロフと美術のちから】
 
先日六本木の森美術館で開催中の"カタストロフと美術のちから展"に行ってきた。

f:id:yumegiwa-last-boy:20181020122257p:plain

 カタストロフィとは「自然界および人間社会の大変動」という意味であり、展示は震災や戦争、テロなどを題材とした作品がずらりと並ぶ。作品一つ一つには、こうした社会問題に対する皮肉啓発希望などアーティストの思いが存分に表現されている。
 カタストロフィ×芸術と言えば、震災当時に僕の大好きな音楽家たち(アジカンのゴッチ、イースタンの吉野、ハイスタの難波…etc)が、震災をテーマにした曲を発信していたのが記憶に新しい。今回は音楽ではなくデザインの多彩な表現の手法に驚いた。
 
 
無闇矢鱈に作品を説明して受け手の表現を限定的にするのもナンセンスだが、印象に残ってる作品をいくつか紹介。

f:id:yumegiwa-last-boy:20181020124017p:plain

原発近くの土を採取してカメラに映したもの。白く光る無数の点は、放射物質の粒子がフィルムに焼き付けた痕跡を表す。一見すると綺麗な星空に見えてしまうのが残酷だ。

f:id:yumegiwa-last-boy:20181020124105p:plain

原子力爆弾。絵の具が乾かぬうちに作品を壁に立て掛けることで模様を描いている。原爆の爆発する姿は人を殺す武器と認識しない限り美しいものとして捉えられかねない。明るい色調で描かれてるのは原爆の持つ恐怖と同時にそんな美しさを表現しているようにも見える。

f:id:yumegiwa-last-boy:20181020124854p:plain

イラクで造られた教会の鐘。教会の鐘が武器に、寺院が城塞に転用されたりと昔は宗教施設が戦争により被害を受けることが多かった。しかし、この鐘はその逆の発想で、イラク戦争で使われた武器を原料に造られた。武器と逆の手法で作ることで、平和を象徴している。


展示の最初はこうした啓発的な作品が多いが、進むに従って希望をテーマにした作品が並んでいく。

f:id:yumegiwa-last-boy:20181020124227p:plain f:id:yumegiwa-last-boy:20181020124249p:plain

 

  • メモ
 この展覧会を通じて、昨年石巻にボランティアに行った際に出会った一人の経営者を思い出した。木工工房を営んでいる遠藤さんという方だ。
 彼は震災を機に子供を二人亡くした。子供を亡くした経験、震災当時ボランティアの方々に励まされたことで、「ひとりでは生きていけないということ」を強く学んだという。そこで、日々の復興活動に奮闘する傍らで、自然に人の集まる場所を造りたいという想いから、子供達のために遊び場や遊び遊具を製作する活動を始めた。

f:id:yumegiwa-last-boy:20181020125811p:plain

 活動にあたり、彼は津波で倒木した松の木で色んな木工グッズを制作した。写真のストラップは遠藤さんから頂いたもの(1個たしか1000円くらい)。ストラップは最初被災地を中心に販売していたが、やがて多くの人から反響を呼ぶようになり1年で1000個近くも購入された。
 事業を進めていく中で、震災後も何度も足を運んで手伝ってくれるボランティアの方々、自分が生み出した場で精一杯遊んでいる子供たちの姿が遠藤さんにとって生き甲斐となっていた。こうして人と繋がることの大切さを学んだことで、遠藤さんはストラップと一緒にこんな素敵なメッセージも添えてくれた。

f:id:yumegiwa-last-boy:20181020131737p:plain

"倒木した瓦礫"が、遠藤さんの辛い経験や支援したいという多くの人の真心が重なって、"生き残った子供達の遊び場"を支えている。
カタストロフィと美術のちから、この作品に勝るものはないと思った。
 
 
余談だがdragon ashの光りの街という曲は、遠藤さんの造った公園がモチーフになっている。dragon ashは被災地支援を目的にライブ会場でグッズを販売してその収入全額を公園や遊具の建設費用などに充て、メンバー自身も一昨年に訪問している。その際に元気に遊ぶ子供達を見て作った曲だという。